子供と歩く大阪散歩ノート

ずいぶんブログの更新が滞ってしまいましたが、もうすぐ夏休みも終わりですね。
パパさん、ママさん、お疲れ様でした。

(ちなみに我が家のお坊ちゃまは、宿題ラスト・スパートで、ママのイライラはMAX(笑))

少し時間がたってしまいましたが、大阪・四天王寺のお盆の光景をアップします。

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四天王寺・万灯供養 in 2015

冒頭の写真は、毎年、お盆に行われる『万灯供養』という行事の光景で
『万灯ろうそく』に、故人の名前を記入して、火を灯してお参りします。

何時間に1回か、法要の読経が行われるのですが
私たちが行ったのが、丁度、1回目の法要が終了した直後で
お坊さんの御一行様が、退出されるところでした。

オレンジの袈裟をお召しになって、傘の下を歩いておられるのが
四天王寺の管長さまです。

私たちが訪れたのは、夕方だったので
イマイチ蝋燭が目立たないですが

夜になると、とても幻想的な光景になります。

ちなみに、夜の写真↓

(写真引用:Yahooニュースより)

四天王寺さんは、聖徳太子が建立したお寺として有名で
阿倍野と上本町の丁度中間位の、都会のど真ん中のお寺なのですが
千年少し前には、まさか本堂から、60階建て・300メートルのビルが
至近距離に見えるようになるとは、思いもしなかっただろうな~と、思います。

↓四天王寺・本堂からの、阿倍野ハルカス

四天王寺・大釣鐘堂そして、いつもは、お参りだけして通り過ぎますが
戦後70年ということで、今年はいつも以上に気になり
写真に収めました。

かつて、世界最大と言われた釣鐘があった、『大釣鐘堂』。

釣鐘は、第二次大戦時に金属として供出されてしまい
現在は、『英霊堂』と名を変えた、当時のお堂だけが残っています。

祖父が亡くなって、戦争の話を直接聞く機会もなくなってしまいました。

こちらから聞かない限り、なかなか話してくれませんでしたが
もっといろいろと聞いておけばよかった、と、今になって思います。

永代供養について思うことアレコレ

ちなみに、我が家のお墓は、ここ、四天王寺さんにあります。

お墓、というか、『永代供養』という形式なんですが
その昔、自分の代で家が途絶えてしまうかもしれない、と憂いた祖父が
『永代供養』なら、絶家になってもお墓を守ってもらえる、と
家族の反対を押し切って、四天王寺さんの永代供養にお墓を変えたんです。

今の時代、丁度、人口減少で、お墓の処遇に困っている人が多くて
『永代供養』も、かなり市民権を得てきているようですが

50年ぐらい前は、だいぶ家族の反対があったみたいで
私自身も、子供の時は、「私も死んだら、知らない人と同じ墓に入るんだ」と
お墓参りのたびに、正直、複雑な気持ちでした。

が、子を持つ立場となった今では、将来
自分のお墓や仏壇のことで、我が子を煩わせたくない、と思うので
今になって初めて、祖父の気持ちが分かるようになった次第です。

自転車でも来れる距離のお寺にお墓があるのは、とても便利ですしね。

といっても、絶家になるかも、と心配しながらも
いつの間にやら、祖父から三代も、ちゃんと続いている我が家です(笑)

家族形態が変わりつつあるこれからは、もっと
『永代供養』という形式は、増えてくると思います。

『万灯供養』を見ていても思うのですが、結局『供養』って
今生きている人が満足するかどうか、という部分が大きいと思うんです。

田舎では、今でもなかなか難しいとは思いますが
家族や親せきの少ない都会では、「すぐに行ける場所で永代供養」
という選択肢も、ありなのかもしれませんね。

代々のお墓を変える、というのは、かなりの決断だったと思うのですが
そういう道筋を我が家に作ってくれた祖父に、今は感謝しています。

永代供養の関連記事(別ウィンドウで開きます):
大阪市天王寺区『一心寺』のジャカランダと、スペイン風邪の慰霊碑

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